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猫は家族?

1.あなたに関心を持つ人々

 「今日はどこへ帰りますか?」「自分の家。」
 「毎日、自分の家にきちんと帰りますか?」「はい。」

 毎日自分の家に帰るのは「当り前」であるように思える。どうして毎日夜にはきちんと家に帰るのは、本当に居心地がいいからだろうか。自分の部屋に愛着があるからだろうか。一生は短いのに、毎晩、判で押したように家に帰る人が多いと言うことは、実に不思議なことだと考えたことはありませんか。
 でも、もし実際に帰らないとすると、やっぱり面倒? 面倒ですね。家族やルームメイトと暮らしている場合には、まず、何をしますか。「今日は帰らない」という連絡をしなければならないですね。連絡すると、必ずなぜ帰らない、あるいはなぜ帰れないのかという理由を聞かれるはずですね。
 つまり、私がどこにいようと私の勝手でしょと言ってみても、自分以外に、あなたたちの居場所に関心を持っている人がいます。親、下宿先のおばさん、ルームメイトなどなど。もし、いなければ、外泊は自分の全く自由にできるわけです。つまり、自分以外に「あなたたちの居場所」に関心を持っている人がいるということを知っていることが、家に帰らせる重要な理由の一つだといくことが分かってきますね。
 「あなたたちの居場所」への関心は、人によっていろいろでしょう。例えば、「親なら、子供がどこに泊まるのか知っていて当然だ」と御両親はおっしゃるでしょう。帰らないなら食事やお風呂の準備もそれ相応に違う。だから連絡する必要があることは言うまでもない、しかしそれだけではない。いま言った「おやならば」という意味の中には、保護者として知っていて当然だという意味もある。「何かあったら大変だし、何もなくとも、よそ様の手前しらないではすまないでしょう。もし大学とか、先生から電話があったらどうするの。親として子供が今日帰るかどうか分かりませんなんて言えると思う?」その時、もし「なんで言われへんの。」と逆襲したら、「何言うてんの。」と一喝されてしまうだろう。
 私達は、家族は互いに他の家族について知っているべきだと考えている。何年も連絡し合わなくたって友達は友達だ、という考えはありえても、家族なのに何年も連絡一つないとか、連絡せずに外国に行ってしまったなんていうことがあれば、私達は「へえー、変な家族」とか「変な親子。縁切ったん?」なんて思ってしまう。「家族ならば」「親子ならば」当然であると考えられていることが何であるのか考えてみるのが、家族とは何かを考える最初の手がかりになるだろう。

2.猫は家族か?
 

「ペットを飼っている人いますか。そのペットは家族の一員ですか?」

 家族ってなんだろう?→家族は集団か?
 どうも疑わしい。例えば単身赴任している夫と妻と子供は、日常生活の場が別々であっても、お互いを家族と考える。同じ理屈で、結婚して夫の両親と住んでいる娘と実家の親との関係を、家族と思うこともできる。同一敷地内に別々の家を建てて住んでいる親夫婦と子供夫婦は、一つの家族だろうか。別の家族だろうか→客観的には決められない。
 ↓
現代社会では、人々は各々主観的家族像を持っている。

[家族と意識する3つの基準]
@親族であること。血縁(母子・父子)や婚姻(夫婦)関係でつながっていること。
A家族としてするべき活動を現にしていること。一緒に住んでいる。一緒に食事している。子どもを育てていること。(但しこれらは、文化、個人によって差がある。)
B情緒的に愛着を感じること。

 @   A   B 
猫:  ×   ○   ○ 
お互い嫌いあっている嫁と姑:  ○   ○   × 

   調査結果 猫大健闘の秘密=情緒


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