家事労働についての規範
「家事は報酬なしでされるべきだ」(無償性)
「家事は愛情がある証拠としてなされるべきだ」(情緒的動機づけ)
「家事は(愛情を持った)家族がするべきだ」(代替不可能的な情緒的ニーズ)
「男は外で仕事の成功に生きがいを見いだし、女は内で家事での愛情に生きがいを見つけるべきだ」
「情緒的なニーズは女性でないとみたせない」
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これらの規範の中に潜む二つの問題
@愛情の強制
家族の範囲→実はニーズ充足の責任範囲
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きわめて狭い←家族の外からの援助が期待できないから
家族の世話をするのは普通女性
「家族には愛情を感じるはずだ | → | 愛情を感じれば世話をしたくなるはずだ」 |
↓ | ↓(規範) | |
実際にはいつも感じるわけではない | でも他人に任せられない。 | |
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回りから愛情がないと非難されるから、 | ||
自分に愛情がわかないことを認めたくない | ||
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家事をする=「愛情の強制」 |
A家事労働の量
子供の数、老人、病人の有無など、偶然の要素に左右される。
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自分の努力と無関係に不平等に分配されている
現代の母性愛の通念
@母性愛は自然で本能的なもので、母親は必ず持ち、自分の子供にだけ働く。
A母性愛は母性行動を引き起こす。
母性行動 「母親は子供の身の回りの世話をし(世話)、子供に対してよいと思われる行動をとり(態度)、成長のための知的刺激を与え(刺激)、コミュニケーションにより社会性を発揮させるものだ(コミュニケーション)。」
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普遍的ではない
(ex.3歳までに子供を家から追い出す。川へ投げ込む。それでも社会はうまく機能する。)
情緒に関するイデオロギー
女性が家族の中で母親としての生き方に満足し、そのうえ、母親が専業主婦として十分な時間がある場合、社会にとっても母親にとっても機能的かも知れない。
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母性イデオロギー
しかし、子供を預けて就労する母親は、十分に子供を見てやれない理由で罪の意識を持つことが多い。
働く父親は、いくら子供と接触できなくても、「罪」を感じるケースはまれだろう。
母性愛イデオロギーは保育のあり方を規定してしまう。