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「わたしは嘘つき」その言葉も嘘?

ダブル・バインド

 人間のコミュニケーションにおけるメッセージには、メタ・メッセージによって自己言及してしまうものが多く含まれ、その中にはパラドックスをつくりだしてしまうような表現も存在する。人が権力関係の中でパラドキシカルな状況定義を余儀なくされるとき、状況の正確な対象化能力を失って、適切な反応ができなくなる場合がる。このような状態をダブル・バインドと呼ぶ。(G.ベイトソン:1956年)

1 メタ・メッセージ
 ベイトソンは、ある時、動物園で数匹のかわうそが遊んでいるのに注目した。かわうそが互いに示す噛みつく身振りは、攻撃行動におけるそれと殆ど区別がつかない。にもかかわらず、本当の攻撃と混同して、相手を傷つけてしまうほど噛むような事は怒らない。
 一つ目のレベルのメッセージ:相手を「噛んでやる!」
 二つ目のレベルのメッセージ:「これは遊びだよ」 ←メタ・メッセージ
          ↑
このようにコミュニケーションというのは多重的
 日常のコミュニケーションにはこんな事はしょっちゅうある。
  ex.「あほ。」→言い方によっては(文字どおりの意味ではなくて)親しみの表現になる。

2 パラドックス
 ところが、悪循環的パラドックスを引き起こしてしまうものがある。
「この文は日本語で書かれている。」→単に自明。
「この文は英語で書かれている。」→明らかに自己矛盾。では次の文は?
「私は嘘つきだ。」→この文が真であればこの文は偽りであり、偽りであれば真にもなる。
           ↓
         パラドックス(逆説)
 何故なら以下の二つのレベルを混同しているから。
 @「私」=「嘘つき」     →オブジェクトレベル
     |
     |もしそうなら
     ↓
 A「私は嘘つき」という文も嘘 →メタレベル

★パラドキシカルな状況=頭を撫でられながら足をふんずけられている様な状況。
 パラドキシカルなコミュニケーションによって状況が定義される時、人は一貫した行動の方針が立てられなくなる。普段私達はこれを適当にやり過ごしたり、場合によっては、それに立ち向かって新しい状況を切り開いたりすることによって対処している。ところが、なんかの理由で、やり過ごすことも立ち向かうこともできないような場合、人は今、いったいどういう状況なのかが分からなくなって、ひどい場合は頭がパニックになって途方に暮れてしまう。

3 権力関係とダブルバインド
 これが、権力関係、つまり強い者と弱い者、命令する者とされる者の関係があり、特にそれが逃れられないような関係の時(例えば親子や夫婦)、パラドキシカルな状況の定義が弱者に強制されるとき、ダブル・バインドが生じる。

 例:気の弱い夫に妻が命令「あたなはもっと自発的であるべきだ。」
    メタレベル: 妻は、夫が自分の命令に対して服従的であること自体にいらだっている。

 もし素直に言うことを聞いたら、妻の命令に服従したことになる。かと言って何もしなければ、相変わらず服従的なままである。つまりこれは、形式的には服従することもできないこともできない命令である。
 この命令は文字どおりの意味を捉えるのではなく、メタレベルに重点があるメタ命令であることを理解する必要がある。その理解をして初めてこのような状況に的確に対処できる。 例:子供が精神病になって入院している。少しばかり回復して、母親が息子に会いに行く。母親は本当は息子との親密な関係を恐れている。なぜなら、母親は自分を捨てた夫を思い出すからだ。母親はその後ろめたさを隠そうと愛情に溢れた声を息子にかける。「私はお前を愛している。おまえも母を愛し手遅れ。」しかし、母親の表情や、息子が近づこうとしたときの母親のこわばりは、このメッセージが文字どおりの意味でないことを表している。母親は手を差し伸べながら後ずさりしているようなものである。息子は母親を愛することも愛さないこともできない。 このような不安定なダブル・バインド状況に反復的にさらされる時、人はメッセージの認知を系統的に歪曲するようになる。例えば、苦しい立場に置かれた人間がよく示す防衛策として、あらゆるメッセージの文字どおりの意味にだけ反応しようと努力することがある。こんなことを繰り返していると、最後にはメタレベルのコミュニケーションをする能力をなくしてしまう。

4 まとめ
 @ある抜き差しならない関係(典型的には母子)において、
 A第一次の禁止命令(例:「これこれをするな」)と、
 Bそれと矛盾する、メタレベルの禁止命令(例:「何をしたら怒られるかといちいち考えるな。」)の並存が、
 Cそのコミュニケーション・パターンの特徴として繰り返し現れるとき、関係の一方に身を置くものが、分裂病的行動を身につける。 
  ↓
 その治療=創造的・建設的なダブルバインドの中で遂行されなくてはならない。
       ↓
      ユーモア・芸術
       ↓
劇中劇のような現実の中の現実=現実の重層性
                       ↑
人間が笑うのはここに起因している。笑いとは緊張が必要な現実からそれほど必要でない別の現実への突然の「転調」によって、不要になった心的エネルギーが急激に放出される現象だからである。


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